燃え尽き症候群は親のミス!?

大学に合格したら、子どもが燃え尽きてしまった!?

よくある話です。
志望校に見事に合格した子どもほど、この傾向が強いのです。

親としては、ようやく念願の志望校に子どもが受かったのだから、もう一生安泰であると思う矢先の大ピンチ!?
わが子がこうならない秘策は無いのでしょうか?

燃え尽き症候群は完全に親が悪い!

何かの目標に向かって、猪突猛進(ちょとつもうしん)で突き進む。
そして第一志望校に見事合格!「おめでとう~」と家族揃ってお祝いしたのも束の間、わが子が燃え尽きてしまった。

こういった事例は、毎年全国で結構多いんです。

親子そろって、望みがかなったのに、なぜこんな悲劇が起こるのでしょうか?

その答えは・・・

子どもも親も、目的と目標を取り違えてしまった事が原因です。

でも、そもそも「目的」「目標」とは、何か違うのでしょうか?

実はほとんどの日本人(社会人を含めて)が、よく分からないで目的とか目標という言葉を使っています。

燃え尽き症候群目的目標の相関関係とは、一体どういう事なのでしょうか?

学校教育の限界

学校教育の主な役割は:

家庭では教え難い、国語、算数、理科、社会、音楽、体育など、
子どもの将来必要不可欠な学問を教えてくれる
家庭では学べない「集団生活」を体験させてくれる場所です。

当然、礼儀作法の基本だとか、夢の見つけ方なんかは学校では教えません。

家庭教育の重要性

学校で教わる、学問、集団生活体験以外が、各家庭の責任になります。

特に、子どもの未来については、家庭以外では指導できませんよね。
学校はクラスメート全員の共通項てきな指導はできても、子ども一人ひとりの未来にまでは手が回りません。
だから、ここは親の責任が重要になってきます。

さて、話がちょっと回り道しましたが、

それでは燃え尽き症候群になる原因とは、一体なにが原因なのでしょうか。

目的と目標を取り違えるな!

結論から言うと、

第一志望の学校に入学できた。という事を目標にしている子どもは、その目標が完了した途端に「その先」が何もないから「燃え尽きて」しまうのです。
実は、「〇〇校(小中高&大学)に入る」というのは、目標なんですね。
「それのどこが問題なの?」
という人のために、目的と目標の定義をしてみましょう。

  • 目的とは:自分の夢などの最終ゴールの事
  • 目標とは:上の目的を実現するための、段階的な指標

図にすると、こんな感じです。

目標を最終ゴールと勘違いしてるから燃え尽きる

第一志望の〇〇校へ入る事は、実は目的ではなく、単なる通過点の一つの目標に過ぎません。
でも大半の親も子どもたちも(学校の先生も)、〇〇校に行くことを子どもの最終目的にしてしまうから、入学した途端に「先」が無くなってしまうのです。

ここがからが親の義務・責任です。

親は子どもに
「将来何になりたいか」
「何をしたいか」
を、一緒に考えて指導して上げることが必要です。

これは学校の先生はやってくれません。私たち親のやる事です。

子どもが大人になった時、何になりたいのか?何をしたいのかが目的なんです。

この最終ゴールの「目的」を達成するためには、じゃあ何をしていくのか?これが「目標」です。

つまり目的を実現するための幾つかの通過点が「目標」です。
だから目的は1つでも、目標はいくつも有ります。

燃え尽き症候群に陥る子どもたちは、目的がありません。
将来の夢を考えたことがなく、いくつも有るはずの通過点の目標をたった一つ「志望校に合格すること」に、人生を掛けてしまうので、それが実現してしまうと「その先」が無いのです。
だから面食らってしまう。
何をしたら良いのか、考えたことが無いから、頭が真っ白になります。

正しい目的の作り方


これは子どもの責任ではありません。
先生の責任でもありません。

ドラマであれば、「3年B組金八先生」とか「GTO」「俺のスカート、どこ行った?」の担任は解決してくれそうですけど、現実はそうでは無いですよね(涙)

子どもに「将来の夢」を考えさせるのは、私たち「親」なんです。
と言うか、親しかこんな話題、親身になれませんよ。
私たちが子どもに教えるべき教育はココです。

ただ、子どもは社会経験も知識も超少ないですから、将来の夢を決めろと言っても、選択肢が少なすぎます。
だから、今の夢で良いんです。

夢なんて、年を追うごとに変わって良いのです。

決して志望校に合格する事を「目的」にさせてはいけないんです。

 

  • 将来○○になりたい。
  • だから△△大学の△△学部に行きたい。
  • だから、その大学(高校でも中学でも)を受験するんだ。

 

という「目標」が大事です。

そうすれば、志望校に合格しても、その先の「将来〇〇になる」という目的があるので、今度はそこに向かって躍進できるのです。

子どもを誘導できるのは、先生ではなく、親の私たちですよ。